―――――― 高杉は、宮本と同じで自衛隊に入隊し、横須賀の新隊員時代の同期の友人。
彼は御殿場にある部隊に所属していた時、昭和◯◯年◯月、旅客機墜落事故が起き、
その災害派遣に高杉と宮本は出動していた。

何百人もの人が亡くなった。
救助、ご遺体の捜索回収、連日墜落現場で寝泊まりしながら作業をした。

そしてやっと駐屯地に帰り、一週間ぶりに風呂に入る。しかし、
風呂から出て身体をタオルでふいていると、まだ死臭がする。
身体に染み付いてしまったのか?と思い又風呂にはいる。
一時間も湯に浸かりのぼせてしまう者もいる。アカスリで肌が赤くなるほど、
血がにじ むほど擦る、でも臭いは消えない。
皆それを二~三回繰り返すが消えない。その臭いは身体に染み込んだのでは無く、
ガラスに入ったヒビの様な一生消えることのない、脳に刻み込んでしまった臭いなのだろう。
聴覚や視覚で得た記憶以上に、嗅覚の記憶は何年何十年経っても
日常生活のふとした事で嗅ぐ臭いから甦る。
その墜落現場の臭いは現場に行った者ではないとわからない、言葉では伝えられない臭いだ。

猛烈な臭いと暑さのなか、正常な精神状態を維持し続けるだけでも大変な中、
過酷な作業を 黙々とこなした。その災害派遣後、高杉はその記憶を払拭するように
空挺レインジャーに志願し、苦しい訓練を続けていたが、その後満期で自衛隊を辞め出家、
永い年月山にこもり修行をしていた。出家した理由を高杉は何も語らなかったが、
同じ体験をした者達には分かる気がした。その後高杉は高僧と言われるまでになり、
京都の有名な寺の住職になっていた。帰国した宮本と私は京都の寺で、年に一度は会い、
変わっていく日本人の事を話していた。

仕事や金や人間関係で精神までも病みながら、
無駄とも思える事ばかりの繰り返しで良い事などわずかなのに、
高杉!俺は……人間はなんで生まれてきて、なんのために生きているのだ!
あぁ、それは親の快楽の結果、お前の意思に関係なく、たまたまおまえができ、
幸いなのかは別にして、両親がおまえができたことを喜びと感じ、
育てる経済能力もあったからだ。子どもはいつどこでだれから生まれ、
男か女かを自分で選ぶこともできず、子供は多くの理不尽とも感じることも背負い、
自分の意志ではなく強制的とも言える条件のなか、この世に誕生させられる。
所詮人間なぞ、泣きながら一人で生まれてきて、この世に生まれ出た瞬間から、
貧しい家に生まれようが金持ちに生まれようが、全ての者が公平に死が約束され、
今の平均寿命だ と「余命八十三年四ヵ月」が宣告……約束されその間生きるだけだ。

寿命に個人差があるのは当然だが、生まれた瞬間から死ぬ瞬間は
一直線につながっていることは確かだ。そして皆その死に向かって
人間の本能『五欲』に支配され、少しの喜びのために『悩み』を背負って『苦しみ』ながら、
孤独に生きていくのが『人生』。お前の言う通り毎日無駄とも思えることの繰り返し、
主婦は暗くて寒い朝眠気を堪えて起き、子供や主に弁当を作り送り出し一日家事に追われる。
主は大変な仕事をして家族を養い、子供 の学費や二五年三十年と
長期の住宅ローンのプレッシャーを抱え、精神まで病む人間までいるのは、
それは人間として生きている事自体が修行だからだ。

それだけの事だ。宮本!生まれて来た意味・生きている意味、そんな事を考える必要など無い。
大切なものは「今」であり「明日」である、どうせ一寸先は闇なのだから「過去」にとらわれず、
失敗してもくよくよ落ち込む必要もない。また明日は来る、明日は悔いが無い一日にすれば良い。
「毎日、今日は人生最後の日」と考え、一歩でも前に進み、一日を大切に生きていれば、
明日死んでも悔いは残らないだろう。

生きていくことは自分の意志で、自分自身の責任で、選んでいくことが出来るが、
先の事遠くばかりを見ていると気が滅入り、プレッシャーに押し潰されてしまう。
下を向き、しっかりと足元を見て一歩一歩歩いて行けば、
大変な事が あってもいつかは時が解決してくれる。

自分の意志による言動は、その人間の全人格的表現である。その人間の過去・現在を決定し、
その延長として未来が存在するのであり、「過去」にとらわれず、おまえの意思と関係なく
やがて死が訪れるまでに自分が生まれた意味を悟り、
「生まれてきてよかった」と微笑みながら死ねば良い。